歴史

チュックボールの歴史と協会の歩み

 

1970年

  スイスの生物学者ハーマン・ブラント博士が

 「チームゲームの科学的批判」という論文を発表、

  それを具体化した妨害のない、怪我のないスポーツ

 として生まれたのが「チュックボール」である。

 

1971年

 フランスで国際チュックボール協会が創設、スイスで国際総会と国際大会が

 開催された。

 

1980年

  昭和55年東京大学に留学していた台湾師範大学の方瑞民教授によって日本に

 紹介された。同時に群馬県スポーツ振興財事業団にも紹介された。

 

1981年

  日本チュックボール協会が設立した。

 

1982年

  日本協会は国際協会の理事として藤澤和典氏を推薦したことにより、国際大会出場

 への礎を築いた。

 

1984年

  台湾で行われた国際大会に日本選手団を派遣、スイス、フランス、イギリス、

 ドイツ、台湾、香港、韓国、日本の8カ国で競い男女ともに台湾に次ぐ2位と

 いう好成績を収めた。

 

1987年

  スイスのヌーシャテルで開催された国際大会に日本選手団を派遣、

 男子は3位、女子は2位という好成績を収めた。

 

1990年

  イギリスのポーツマスで開催された国際大会には、女子選手団を派遣3位という 

 成績であった。

 

1993年

  フランスのクラブ選手権大会に選手団を派遣、男子は4位、女子は2位であった。

 

1995年

  2月19日に第1回の全日本選手権大会を群馬県の前橋市民体育館で開催する。

 また、群馬県前橋市で国際大会を8月に開催する予定で準備を進めていたが、

 サリン事件が起こり、治安を気にして参加国が3カ国(スイス、台湾、日本)

 となり、やむなく中止。

 

1999年

  台湾高雄県で開催された3か国対抗大会(スイス、台湾、日本)に選手団を派遣。

 

2002年

  イギリスで国際大会が開催され、日本男子選手団を派遣。

  10月には日本にチュックボールを紹介した方瑞民氏(68歳)が癌のため逝去

 された。

 

2004年

  8月に台湾で国際大会兼親善試合が開催され、国際大会に日本男子選手団を派遣、

 親善試合に男女の選手団を派遣。

 

2010年

 10月、国際チュックボール協会会長の黄進成氏を台湾から招き、群馬県で

 チュックボール講習会を開催し、世界のチュックボールの状況が伝えられた。

 また、11月には日本にチュックボールの普及に尽力され多大な功績のあった

 藤澤和典氏(78歳)が脳梗塞のため逝去された。